念願のコース昇格
Aコースでもがいていた息子が、先週の組分けで念願のBコースに昇格。
何度言っても復習や課題をやらずゲームに没頭する息子に愛想をつかし、今回Bに上がれなかったら受験をやめようと話していた矢先だったので、首の皮一枚で繋がった感じ(^_^;)
しかし、息子のモチベーションを上げるために「スゴいじゃん!!ポン太はやれば出来るんだよ!」と誉めまくり。そしたら本人も少しやる気になった様子。
週1でお世話になっている個人指導塾に頼み込み、四谷大塚がない曜日は、空いてる席で自習をさせてもらうことにした。やるべき勉強がちゃんと終わったら、家でゲームOK。今までは隠れてゲームをやっていたので、こうすることで親のストレス軽減!!
そして今日はBコースに上がって最初の週テストだったのだが、去年受験を経験した姉が登場。いつもは仲の悪い姉弟だが、機嫌が良かったのか、息子が出かける直前に社会のアドバイスをくれた。
「豚の飼育数の上位3位はよく出るからね!」
「石炭・鉄鉱石の輸入額が一番多いのはオーストラリアだけど、私は石オと鉄オって覚えたよ」
なんと、姉のアドバイスがズバリ的中。しっかり週テストに出た。
ポン子、よくやった!!
しかしその2問は正解したものの、解き直しの結果、他の出来が悪すぎて…( ´△`)
社会の産業ってどうやって覚えるんだろう?
夕飯出す度に「今日のピーマンは茨城産で、玉ねぎは北海道産だよ」としつこく言ってればそのうち頭に残るだろうか?ああ、その前に私も覚えないと買い物できないわ。
とうとう期末試験
学年最後の試験がスタート。
我が家は高望みせず、「平均点を超えること」を娘の目標としている。(今のところ、これが娘にはせいいっぱい…)
1月の実力考査はなんとか平均をクリアし、目標は達成しているのだが、娘は浮かない様子。
聞くと、仲のよい友達がみな30位以内に入っていたらしく(実力考査のみ30位まで名前が貼り出される)、しかも成績的に自分仲間だと思っていたAちゃんまで30位以内に入っていたことに娘はショックを受けているようだ。
普段、娘とアホ話で盛り上がっている友人たち。
実は見えないところで努力しているわけよね。
うんうん、現実を知ることはいいことだ。
娘は「みんなに追い付きたい」と、試験勉強をいつも以上に頑張っているように見える。
成績優秀な友達のおかげだ。感謝感謝✨
試験が終わったら学校は休みに突入⤴
ただし、点数が悪いと学校から呼び出しが…(;゜∀゜)
(しかも対象者には補習日の前日に電話連絡があるらしいので、オチオチ外出先できない…)
天国となるか地獄となるか。
がんばれ、娘。
新6年息子始動
息子、新6年生になり、本格的に受験勉強が始まった。
「オレは受験しない」と宣言してたのに、娘の受験が終わったあと、「オレも受験する」と言いはじめた息子。
3年生から続けているミニバスの活動を抑え、5年生の夏休みが終わった後、一大決心して四谷大塚に入塾した。
しかし、最初の組み分けテストは下から数えたほうが早い順位…。
しかたないよね、塾のテスト内容は難しいよね、と励まし続けて6か月。いまだにY偏差値40台をウロウロ…(´Д⊂ヽ
息子よ、キミがいくらスタートが遅いといっても、受験にハンデはないのだ!!
息子の志望校は我が家から見えるところにある男子校のS中。
「オレS中でいいやー」なんて言ってるけど、偏差値を10以上アップしないと門前払いなんですが(´Д⊂ヽ
息子は危機感がないというか、闘争心がないというか…。
娘の受験のときに鬼軍曹としてムチ打って勉強を教えていた夫も、息子のマイペースさにはお手上げのようだ。
とりあえず次回の組み分けテストでBコース目指して頑張ります。(頑張らせます)
2月2日受験備忘録(2017年入試)
2日朝は5時半起床。家から少し離れた学校に向かうため、昨日より早く準備開始。面接はないので、娘はニットにジーンズというラフな服装。昨晩の不合格のことはさほど気にしてない様子。とりあえずよかった。
家を出る直前、娘が過去問を見たいと言い出す。
この日受ける予定のK校の過去問ではなく、T校の算数の過去問を眺め読みして、
「私、やっぱりT校受けたい」と娘。
親は動揺。塾の先生からはH校が受からなければT校はやめたほうがよいと言われている。でも、これまでにやったT校の数年分の過去問は最低合格点をクリアしている。
…じゃあ、いっちゃう?
受験は娘の努力の集大成なので、たとえ望みは薄くても娘の希望を叶えてやりたい。出来る気がする、
という娘の背中を押す。出発直前に急遽受験校を変更。
7時50分にT校到着。四谷大塚の応援の集団の中に算数の先生を発見。先生は娘の顔を見て驚いた様子。まさか娘が来るとは思っていなかったのだろう。握手して「頑張れよ」と激を入れてもらう。
校内に入り、父母ともスリッパを忘れたことに気付く(娘は上履きを常に携帯させている) 。急に予定を変更するとこういうことになるのだと反省。しかし学校側は貸出用スリッパを準備してくれていたため、ありがたく使わせていただく。
1階で娘と別れ、親は講堂に向かう。しかし講堂は満員で入れなかったため、地下の食堂に移動。保護者はみなそれぞれ本を読んだりノートパソコンで仕事をしたり。電波が弱くネットが繋がりにくかったため、私は一時上の階に移動し仕事。しばらく食堂で時間を潰したあと、J校の合格発表の掲示を見るためT校をあとにする。
J校到着。すでに結果は貼り出されている。覚悟を決めて掲示を見に行く。が、番号はなかった。テレビの取材を受けている親子を脇目に、早々に学校を出る。
夫はT校に戻り、私は銀行を探す。3日の学校の受験料振込のためだ。1週間前に急遽候補に上がった学校で、もしJ校とH校がダメだったときは出願しようと夫と話し合っていた。
受験料を振り込んだあと、娘&夫と合流。すでに結果を聞いたはずの娘は飄々としていて落ち込んだ様子はなかった。我慢してるのか、強がっていたのか。
昼飯を食べるため、定食屋に入る。娘はカツ丼とカキフライを注文し、全て平らげる。受験は相当なエネルギーを消費するのだろう。
塾に電話し不合格の報告をしたところ、担任の先生が面談してくれるというので、早速塾に向かう。先生は今朝、K校で娘のことを待っていてくれたらしく、姿を見せないので心配してくれていたようだ。すみません、と謝罪し、今後のスケジュールを相談する。3日は、午前に受験料を振り込んだ学校は受けず、当初の予定通り、娘の第3希望であるO校を受けることに決定。
そのあと慌ただしくタクシーで午後の受験校に急行。14時半にH校に到着。こちらは前日に続き二度目の受験。この日の偏差値は高めなので、受かったらラッキーだねと家族で話す。
試験中、親は長期戦を覚悟し、翌日以降のシュミレーションをする。3日は娘をO校まで連れていき、その足で1月に合格した学校の入学金を支払う。さらに4日校の出願をしに学校へ移動しなければならない。なんと目まぐるしいスケジュール。不合格でショックを受けてる暇などない。
試験が終わり、娘と合流。今回も出来はよくなかったらしい。過去問は問題なかったが、この年のH校とは相性が悪かったのか。
電車に乗り込むと、もうすでに19時過ぎ。あまりに疲れていたのでピザでも取ろうかと夕飯の算段をしていると、「今日受けたT校、もうインターネットで発表してるよね?」と娘。電車の中でこれ以上の心労を重ねたくないと思いながらも、スマホで学校にHPにアクセスする。
開いたページには受験番号が羅列。字が小さくてよく見えない。すると隣で画面を覗きこんでいた娘から「あった!!」の声。画面を拡大して娘の番号を確認。まさかの合格。
こうして娘の受験が終了。
あとで娘に聞くと、T校の試験にかなりの手応えがを感じていて、合格する自信があったらしい。以前からT校の試験問題が好きと言っていた娘。試験問題は、その学校がどういう子供を求めているかを表していると聞くが、そう考えると、T校と娘は相思相愛だったのかもしれない。
2月1日受験備忘録(2017年入試)
娘の2月受験から間もなく1年。
今年は雪の予報が出ているようだが、せめて積もらないでほしい(>_<)
さて、昨年度の備忘録です。
これから入試の方々の参考になれば…。
1日午前は母熱望のJ校受験。市ヶ谷の女子校だ。
朝6時に起床。家を7時に出発して、7時50分に学校に到着。8時15分集合だったので、我が家にしては順調だと思っていたら、塾の先生に「心配したよ~」と言われてしまった。どうも我が家は塾のクラスの中で一番最後の到着だったらしい💧
保護者は講堂に案内され、試験のスケジュールについて説明を受ける。在学生による進行。さすがJ校!と感銘を受ける。子供達の試験&面接が終わるまでは自由時間で、講堂で待つもよし、息抜きに外に出るもよし。私たち夫婦は講堂で過ごす。
娘の番号は200番台だったが、面接が複数グループ同時に行われていたのか順番が最初だったため、昼過ぎには娘と合流できた。
「何聞かれたの?」と聞いたら、なぜ私立を受験しようとしたかを聞かれたそう。娘は「自分の育った環境とは違う、幅広い出会いがあると思ったから」と回答したとのこと。なかなかやるな、娘。
ちなみに面接時の服装は、白いブラウスに黒のカーディガン、グレーのチェックのスカート、黒のスパッツ、黒の靴下、黒の紐靴。トレーナーとジーンズという強者もいたらしいが、恐らく極めて少数だとは思う。
この日はダブルヘッダーで午後受験があったため、移動途中にファミレスに入る。早速自己採点を始める娘。7割は出来た♪と少し安堵した様子。パフェを食べてリラックス。
午後受験のH校に到着。ここでも四谷大塚の先生たちから握手とたくさんの励ましを受ける。不安でいっぱいの親子にとって知ってる顔に会えるのは心強いし本当にありがたい。その後は娘と分かれ、食堂で試験の終了を待つ。
試験が終了し、子供たちとの合流は体育館。試験番号順に入場してくるのだが、娘の番号は番号は後ろの方なので、30分ほど待たされる。(でも屋内なので全然マシ)
娘と合流し、試験の感触を聞く。「全然出来なかった~~💦」と娘、半泣き。娘を慰めつつ、このH校が合格しないと2日校はチャレンジできないので、なんとか合格して~と心の底で祈る。
その夜、ウェブでのH校合格発表。
予想外の不合格⤵偏差値はあてにならないと実感した瞬間。これで翌日からのスケジュールがガラっと変わることになる。翌日の娘熱望のT校受験は諦めよう、と家族内で合意。(少なくとも翌朝まではそのつもりだった。)
この日は落ち込んでいる余裕などなく、翌日に備えて無理矢理就寝。やはりダブルヘッダーは疲れるのか、娘もあっという間に眠りにつく。
親子ともども疲労困憊の一日。
そして2日に続く…。
1月校入試での失敗①(2017年入試)
1月10日は栄東中学の入試日。昨年、娘の受験はここからスタートした。
受験生のママ友などいなかったので、情報不足のまま出願し試験に突入したわけだが、この情報収集不足が我が家の失敗だった。
試験当日、我が家は東京駅からJR宇都宮線に乗ったが、通勤時間帯でしかも始発ではないので、乗り込んだ車両は非常に混雑していた。もちろん空席はない。
あれ?私達、もしや東大宮まで立っていくの??
隣のグリーン車に颯爽と乗り込んでいく受験生親子を横目に、自分の犯したミスに初めて気付く。そう、確実に座っていくためにはグリーン車を予約しておくべきだったのだ。
我々親子は幸運にも上野から座ることが出来たのだが、この時間帯の宇都宮線は受験生(恐らくみんな栄東受験)で溢れていたので、下りにも関わらず激混みであった。立っていた受験生はさぞや疲労困憊であったろう。
ちなみに東大宮駅は大挙する受験生を迎え入れるキャパがないため、ホームは大混雑。改札を出るまでに10分くらいかかった。ギリギリの時間に到着を考えていると遅刻する可能性もあるので、受験生は要注意だ。
学校に到着して間もなく娘と別れ、私は待合所である体育館に向かった。ここで2つ目の失敗に気付く。
体育館、30分前に着いても座る席はない。
3000人が一気に受験しに来るわけだから、体育館に保護者全員を許容出来るわけがない。外に出て店を探す?ラーメン屋はあったけど、時間潰せないよね。。。
仕方ないので外と体育館を行ったり来たりしながら一人時間を潰す。(体育館、ストーブあるけど寒いです)
試験が終わり、子供たちとの引き合わせが行われるのだが、これは受験番号順なので、子供の番号が呼ばれるまで親は体育館で待機しなければならない。
うちは出願が遅かったため受験番号は後ろのほう。従って呼ばれるのも最後のほう。結局娘に会えるまで1時間ほど待つ羽目になった。(これ3つ目の失敗)
もし栄東を受験する予定の人がいたら、うちのような失敗をしないよう、参考にしてもらえれば幸いです。
中間テストで現実を見る
中間テストを終えた直後から「期末で頑張るから!!」と勉強アピールをしていた娘。
何となく予想はしていたけど、今日の二者面談で試験結果が返されて納得。平均くらい取れてれば良いなあ、と気楽に構えてたが、この学校で平均を獲得するのがどんなに難しいことか…。
学年の順位は明示されなかったが、教科ごとの偏差値と分布図を渡され、娘の立ち位置を確認。塾で学習している数学と英語は辛うじて平均を超えたが、理科と国語が目も当てられず⤵ 四谷大塚の週テストで何度か取ってきた驚愕の偏差値を久しぶりに見た感じ。
あの頃の苦い思い出が走馬灯のように駆け巡る…。
理科は昔から不得意科目だったが、中学でもまだ壁を乗り越えられないようだ。
本人も勉強不足は自覚しているので、期末に挽回してもらうしかない。けど、部活と塾でフル回転してるのに、その勉強時間をどうやって捻出すればよいのやら。塾をやめるか、それとも部活動を制限するか…。
しかし、重苦しい面談のあと、素敵な出来事が✨
校門の前で突然「ぽんこちゃん(娘)のお母さんですか?」と声をかけられた。ふと振り返ると色白の綺麗な顔立ちの女子生徒が。
「私、ぽんこちゃんと同じ部活の◯◯と言います。よろしくお願いします。」と丁寧に挨拶してくれた。娘はすでに帰宅し親一人で居たので、なぜ私を知ってるのかと驚いたが、首から保護者札をかけていたので、それを見て声をかけてくれたようだ。
なんて礼儀正しいお友達なの✨✨
娘の学業の現実を知って精神的に打ちのめされたが、こんな素敵なお友達がいることが分かって、心のダメージはかなり回復⤴⤴
部活をフルでやりたいと無茶を言ってる娘だが、この一件があって、部活のことを検討してあげてもよいかな~と思い始めた単純な親なのであった。