働く野良母と中学受験

四谷大塚に通い2017年と2019年に中学受験を終了した娘と息子と母の記録。その後。

2月2日受験備忘録(2017年入試)

2日朝は5時半起床。家から少し離れた学校に向かうため、昨日より早く準備開始。面接はないので、娘はニットにジーンズというラフな服装。昨晩の不合格のことはさほど気にしてない様子。とりあえずよかった。

家を出る直前、娘が過去問を見たいと言い出す。
この日受ける予定のK校の過去問ではなく、T校の算数の過去問を眺め読みして、

「私、やっぱりT校受けたい」と娘。

親は動揺。塾の先生からはH校が受からなければT校はやめたほうがよいと言われている。でも、これまでにやったT校の数年分の過去問は最低合格点をクリアしている。

…じゃあ、いっちゃう?
受験は娘の努力の集大成なので、たとえ望みは薄くても娘の希望を叶えてやりたい。出来る気がする、
という娘の背中を押す。出発直前に急遽受験校を変更。

7時50分にT校到着。四谷大塚の応援の集団の中に算数の先生を発見。先生は娘の顔を見て驚いた様子。まさか娘が来るとは思っていなかったのだろう。握手して「頑張れよ」と激を入れてもらう。

校内に入り、父母ともスリッパを忘れたことに気付く(娘は上履きを常に携帯させている) 。急に予定を変更するとこういうことになるのだと反省。しかし学校側は貸出用スリッパを準備してくれていたため、ありがたく使わせていただく。

1階で娘と別れ、親は講堂に向かう。しかし講堂は満員で入れなかったため、地下の食堂に移動。保護者はみなそれぞれ本を読んだりノートパソコンで仕事をしたり。電波が弱くネットが繋がりにくかったため、私は一時上の階に移動し仕事。しばらく食堂で時間を潰したあと、J校の合格発表の掲示を見るためT校をあとにする。

J校到着。すでに結果は貼り出されている。覚悟を決めて掲示を見に行く。が、番号はなかった。テレビの取材を受けている親子を脇目に、早々に学校を出る。

夫はT校に戻り、私は銀行を探す。3日の学校の受験料振込のためだ。1週間前に急遽候補に上がった学校で、もしJ校とH校がダメだったときは出願しようと夫と話し合っていた。

受験料を振り込んだあと、娘&夫と合流。すでに結果を聞いたはずの娘は飄々としていて落ち込んだ様子はなかった。我慢してるのか、強がっていたのか。

昼飯を食べるため、定食屋に入る。娘はカツ丼とカキフライを注文し、全て平らげる。受験は相当なエネルギーを消費するのだろう。

塾に電話し不合格の報告をしたところ、担任の先生が面談してくれるというので、早速塾に向かう。先生は今朝、K校で娘のことを待っていてくれたらしく、姿を見せないので心配してくれていたようだ。すみません、と謝罪し、今後のスケジュールを相談する。3日は、午前に受験料を振り込んだ学校は受けず、当初の予定通り、娘の第3希望であるO校を受けることに決定。

そのあと慌ただしくタクシーで午後の受験校に急行。14時半にH校に到着。こちらは前日に続き二度目の受験。この日の偏差値は高めなので、受かったらラッキーだねと家族で話す。

試験中、親は長期戦を覚悟し、翌日以降のシュミレーションをする。3日は娘をO校まで連れていき、その足で1月に合格した学校の入学金を支払う。さらに4日校の出願をしに学校へ移動しなければならない。なんと目まぐるしいスケジュール。不合格でショックを受けてる暇などない。

試験が終わり、娘と合流。今回も出来はよくなかったらしい。過去問は問題なかったが、この年のH校とは相性が悪かったのか。

電車に乗り込むと、もうすでに19時過ぎ。あまりに疲れていたのでピザでも取ろうかと夕飯の算段をしていると、「今日受けたT校、もうインターネットで発表してるよね?」と娘。電車の中でこれ以上の心労を重ねたくないと思いながらも、スマホで学校にHPにアクセスする。

開いたページには受験番号が羅列。字が小さくてよく見えない。すると隣で画面を覗きこんでいた娘から「あった!!」の声。画面を拡大して娘の番号を確認。まさかの合格。

こうして娘の受験が終了。
あとで娘に聞くと、T校の試験にかなりの手応えがを感じていて、合格する自信があったらしい。以前からT校の試験問題が好きと言っていた娘。試験問題は、その学校がどういう子供を求めているかを表していると聞くが、そう考えると、T校と娘は相思相愛だったのかもしれない。